迷わず行けよ、行けばわかるさ
みなさん、お元気ですか。今回は中2日の執筆となりました。
今日夕方我が家を取り巻く桜の木に、昨日までは咲いていなかった桜の花が、まるであの方の卒業を祝うかのように美しく立派に咲いていました。
かつてホークスの本多選手(現ホークス一軍内野守備走塁兼作戦コーチ)が、福岡ドームで自身の引退試合を行った際に、「去りゆく君へ」というタイトルで執筆し、わたしなりにホークスの現役選手卒業を労ったことがありました。
今回本多選手以来「去りゆく君へ」というタイトルで、わたしなりに中原一徹さんを送り出してあげたいという思いで綴ります。
今朝地元菊川町のお客様の事業所を訪れた際に、第一声が「一徹くん辞めるんてねえ」でした。その事業所の事務所には一徹さんからいただいたサイン色紙が飾られています。
山口県民ならばすでに彼が山口放送を卒業されることはご存知のはず。
思い返せば、一通のお手紙がご縁となり、菊川町にお越しいただきました。今だからお話しできるのですが、一徹さんの放る130㎞のスピードボールを菊川町で披露していただきたかったのは事実です。
その思いとは別に、私の前にお手紙がご縁で、豊北町のご実家の庭である女性とキャッチボールをしながらの昔話をテレビで拝見しました。その女性に対するお優しい心配り、ご配慮を見て涙してしまいました。その時に菊川町に来ていただくのは彼しかいないと決めました。
今朝のさわやかモーニングでまだ訪れたことがない山陽小野田市へ、同志でもある畑中さん、田中さんと3人で思い出づくりの旅に行かれた場面が流されました。3人の絆の強さが垣間見えました。
昨年11月21日に菊川ソフトボール祭りを特集で放送していただいてからは、毎日2時起床で頑張っている3人(スタッフの方も)を応援したく、毎日楽しみに見ています。一徹さんのお天気予報もチェックし、日々の日常生活に大変役立っていました。
また、3日前にお知らせしました第2回菊川ソフトボール祭りにも、町民のみなさんのご要望にお応えし、主催者として再び一徹さん招聘を考慮しているところでした。
そして今日のラジオでは、青木京子さんとの最後のコントが繰り広げられ、一徹さんの美声も聴くことができました。月曜日・火曜日のこの名物コントも今日が聞き納めとなると寂しくて仕方ありません。日々一人でデスクワークをしているわたしにとって、お二人のコントがどれ程笑いをもたらし、元気を与えてくれたことか。
ご本人もおっしゃっていましたが、きっと器用なタイプではないので、何事にも一生懸命に真面目に取り組まれる。それがわたしたちの心に響いて心打たれるんだと思います。AIやロボットには負けない人間ならではの魅力がそこにあります。
まだ明日明後日と2日間出演の機会があります。涙される県民の方が数多くいらっしゃると思いますが、一徹さんの最後の雄姿をこの目に焼き付け、この耳に残して、みんなで元気に送り出してあげましょう。
そして最後にアントニオ猪木さんのこの言葉を一徹さんに送りたいと思います。
「この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ。」
気象予報士界の大谷翔平こと、中原一徹さん。3年間お疲れ様でした。これからも迷わず、オリジナルスマイルで素晴らしい道を歩まれてください。新たな人生に多くの幸あれ。ありがとうございました。