燃える闘魂死す
みなさん、ご無沙汰しております。めっきり寒くなった今日この頃ですが、お変わりありませんか。
さて先週1日に“燃える闘魂“アントニオ猪木さんがお亡くなりになりました。やはり猪木さんのことを書かずにいられません。
わたしは物心ついた頃から猪木さんの大ファンです。かれこれ40年以上のファン歴です。毎週金曜日夜8時にはテレビのチャンネルを合わせて、猪木さんの戦いに夢中になり、また懸命に戦う姿からたくさんの元気と勇気をいただいてきました。
そしていつしかわたし自身も、「INOKI ISM」というものを、自然と身にまとうようになりました。でなければ、敢えて社会保険労務士といういばらの道を今歩んでいないと思います。
猪木さんはリング上の戦いだけではなく、世間との戦いを常に意識し、様々な話題やスキャンダルをわたしたちに提供してくれました。そしてビジネスマンとしても時代の一歩先をいく、先見の明を持ち合わせていました。
そんな猪木さんの現役引退試合が1999年4月4日に東京ドームで行われました。観衆70,000人(超満員)。当時のインドア興業の最多観客動員数記録でした。わたしは年次有給休暇を取り、はるばる下関から東京ドームへ足を運びました。
今でもあの熱狂的で最高に盛り上がったドームの空間を覚えています。入場の際、長い花道を歩き、イノキボンバイエに合わせて湧き上がる大イノキコール。
そして、引退試合はドン・フライ選手に勝利し、試合後70,000人の前であの有名な詩を読み上げました。
「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばそのひと足が道となり、そのひと足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。ありがとー!」
当日猪木さんが読み上げた詩は一言一句記憶しています。この詩はみなさんもご存知だと思います。
時にはわたしも足が前を向かいない時があります。でもそんな時、猪木さんが読み上げたこの詩を思い出すようにしています。迷わず行けよと猪木さんに言われている気がして、勇気が湧いてきます。
もっともっと書きたい宝の山のような話がたくさんあります。でもわたしの宝物として、わたしの心に、わたしの記憶に大切にとどめておきます。
INOKI ISMとは? 猪木さんのファンの方々は、それぞれの考えをお持ちだと思います。
わたしは勝手にこう思います。「人生とは己自身との戦い。その戦いから逃げずに、正々堂々と挑んでいくこと。」
今頃天国で馬場さんに「元気ですかー」と言いながら、プロレス談義に花を咲かせているのかもしれませんね。改めて猪木さんのご冥福をお祈り申し上げます。